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お爺ちゃんの命日だったりしますっ。なのでちょっとくらーい感じになっちゃうんですがお許しくださ
お爺ちゃんは二年前に亡くなりました。私は丁度奈月と遊んで帰った時に聞かされました。
その日は退院する日だったので、凄い楽しみにしてたんですよ。
その時私は6年生。遅れちゃって制服姿を見せられなかったことを、ちょっと悔やんでいます。
聞かされたときはただ呆然としていて、すぐに自分の部屋に上がって、ベットにダイブした瞬間から涙が出てきました。
今思うと凄い少なかった気もするのですがね。それでもそこで泣いただけで、後は泣きませんでしたよ。
おじいちゃんと私は小学二年生まで一緒に住んでたんです。その時から凄い仲良しで、お爺ちゃんの話をする時は私への溺愛っぷりがよく話題に上ります。
それから私は東京に引っ越したので、おじいちゃんは叔母さんのほうに引き取られました。
それから、どうしてだかはよく覚えてないんですが、最後の数ヶ月間は私たちの方で引き取ってたんです。
久しぶりのお爺ちゃんは寝たきりで、前に会った時に一緒に歩いたことが懐かしく感じたことを覚えています。
とにかく甘いものと煙草とパチンコが好きだったおじいちゃん。
特にあんぱんは好物だったみたいです。
寝たきりになっても、私はおじいちゃんとよく話していました。
その時は従兄弟とか叔母さんもよく来てくれて、たくさん人数がいるし、すごい楽しかったんです。
でも、おじいちゃんがいたせいでお母さんがちょっと調子悪くなっちゃったんですよね。
だからおじいちゃんと一緒にお母さんも入院しました。
それからはお父さんと私とお姉ちゃんと3人で数日を過ごしました。
ほんの数日でしたけど、寂しいなぁ…と思いました。たった二人いないだけなのになって。
それで、退院の日に呼吸がやられちゃったのか、安静だったお爺ちゃんの容態は急に悪化して、そのまま。
ちょうど金曜の日に亡くなったので、平日に休むことはしませんでしたが、心にぽっかりと穴が開いたようでした。
お通夜の日には、お爺ちゃんは詰め物をしてその死に顔をみんなに見せていました。
安らかな寝顔みたいだねって、歳の離れた従姉妹が手を強く握り締めてくれました。従姉妹はお爺ちゃんの為に毛糸の靴下を編んでいる途中でした。
葬儀の日に、従姉妹はその出来かけの靴下を箱に入れました。おじいちゃんは思ったより小さくて、ビックリしました。
それから、それから。見知らぬ親戚にも会って、おじいちゃんの昔を聞きました。
おじいちゃんは、頭が良かったそうです。しかし時は戦争真っ只中。おじいちゃんは戦地へと送られました。
それでも、おじいちゃんは出世し、確か少尉の一つ下の階級だったかと思います。
良くは判りませんが、とにかくそんなこんなで終戦を迎えて。
おばあちゃんとは比較的仲が良かったと聞きます。おばあちゃんはわたしが幼い頃に亡くなってしまったのでよく知らないのですが。
わたしには現在一人だけ残ったおじいちゃんがいます。その人とはあまり親しいお付き合いがないので、やっぱりおじいちゃんというと亡くなってしまったほうを思い浮かべてしまうのです。
あれから2年が過ぎました。制服を着たときに感じる違和感もなく、学校の中枢を担ってゆく学年です。
ねぇ おじいちゃん。 わたしはちゃんと輝いてますか?
そして、ちゃんとおばあちゃんとは合えましたか?
お爺ちゃんは二年前に亡くなりました。私は丁度奈月と遊んで帰った時に聞かされました。
その日は退院する日だったので、凄い楽しみにしてたんですよ。
その時私は6年生。遅れちゃって制服姿を見せられなかったことを、ちょっと悔やんでいます。
聞かされたときはただ呆然としていて、すぐに自分の部屋に上がって、ベットにダイブした瞬間から涙が出てきました。
今思うと凄い少なかった気もするのですがね。それでもそこで泣いただけで、後は泣きませんでしたよ。
おじいちゃんと私は小学二年生まで一緒に住んでたんです。その時から凄い仲良しで、お爺ちゃんの話をする時は私への溺愛っぷりがよく話題に上ります。
それから私は東京に引っ越したので、おじいちゃんは叔母さんのほうに引き取られました。
それから、どうしてだかはよく覚えてないんですが、最後の数ヶ月間は私たちの方で引き取ってたんです。
久しぶりのお爺ちゃんは寝たきりで、前に会った時に一緒に歩いたことが懐かしく感じたことを覚えています。
とにかく甘いものと煙草とパチンコが好きだったおじいちゃん。
特にあんぱんは好物だったみたいです。
寝たきりになっても、私はおじいちゃんとよく話していました。
その時は従兄弟とか叔母さんもよく来てくれて、たくさん人数がいるし、すごい楽しかったんです。
でも、おじいちゃんがいたせいでお母さんがちょっと調子悪くなっちゃったんですよね。
だからおじいちゃんと一緒にお母さんも入院しました。
それからはお父さんと私とお姉ちゃんと3人で数日を過ごしました。
ほんの数日でしたけど、寂しいなぁ…と思いました。たった二人いないだけなのになって。
それで、退院の日に呼吸がやられちゃったのか、安静だったお爺ちゃんの容態は急に悪化して、そのまま。
ちょうど金曜の日に亡くなったので、平日に休むことはしませんでしたが、心にぽっかりと穴が開いたようでした。
お通夜の日には、お爺ちゃんは詰め物をしてその死に顔をみんなに見せていました。
安らかな寝顔みたいだねって、歳の離れた従姉妹が手を強く握り締めてくれました。従姉妹はお爺ちゃんの為に毛糸の靴下を編んでいる途中でした。
葬儀の日に、従姉妹はその出来かけの靴下を箱に入れました。おじいちゃんは思ったより小さくて、ビックリしました。
それから、それから。見知らぬ親戚にも会って、おじいちゃんの昔を聞きました。
おじいちゃんは、頭が良かったそうです。しかし時は戦争真っ只中。おじいちゃんは戦地へと送られました。
それでも、おじいちゃんは出世し、確か少尉の一つ下の階級だったかと思います。
良くは判りませんが、とにかくそんなこんなで終戦を迎えて。
おばあちゃんとは比較的仲が良かったと聞きます。おばあちゃんはわたしが幼い頃に亡くなってしまったのでよく知らないのですが。
わたしには現在一人だけ残ったおじいちゃんがいます。その人とはあまり親しいお付き合いがないので、やっぱりおじいちゃんというと亡くなってしまったほうを思い浮かべてしまうのです。
あれから2年が過ぎました。制服を着たときに感じる違和感もなく、学校の中枢を担ってゆく学年です。
ねぇ おじいちゃん。 わたしはちゃんと輝いてますか?
そして、ちゃんとおばあちゃんとは合えましたか?
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